幼き日の全力逃走、行き先は・2025年12月1日

北杜&八ヶ岳
北杜方面&八ヶ岳 夕刻前の曇り

こんにちは。スタッフの友次郎です。

友次郎の日記的書き込み。

甲府は夕刻前から曇りそして夜は晴れの予報。

ここのところ、日中はポカポカ陽気。

■ 笑い話に変わった、僕と母の小さな攻防戦

12月1日、セレとピエロコは歯科医院へ。

セレは今年初頭の引越し前から、大阪で長いこと歯科の治療。

甲府に引越し後、引き続き治療したかったのですが、様々なドタバタで継続治療ができない状態に。

そしてやっとこさ本日、近所の良さげな歯科で治療再開。

さて、歯科といえば僕が幼稚園前のことを思い出します。

まあ、シンプルに虫歯なのですが、2回目の治療の日のこと。

それがそのまま人生で2回目の歯科治療。

もうね、正直1回目で大いに懲りているわけです。

その2回目の日、母はどこに行くのか告げるでもなく、僕を連れて出かけるわけです。

果たして、このコースは歯科医ではないかと、幼い僕はピンと来ました。

『これはまずいな・・・』

恐怖ですよ。そこで僕は逃走を試みることにしました。

何食わぬ顔で何も気づかぬ様子を醸し出し、自然に母に手を引かれて歩きます。

しかしその心根では逃走のチャンスをうかがっています。

だんだんと歯科医院が近いてきます。

いやね、僕としては歯医者が嫌だとグズること自体が嫌だったのです。

『わあ、もう歯医者の入り口が見える・・・』

『今しかない!』

僕はそう思って踵(きびす)を返して母の手を振り払い、来た道を逆方向に全力疾走。

少し走ると母の笑い声が。

あっけに取られるのではなく笑われています。

「歯医者に行くのがバレてたんだw」という感じで笑われていることを悟りました。

この逃走劇は単なる笑い話になってしまいました。

このとき僕は『逃げても無駄だな。抵抗しようがないな』と観念。

ここまで連れてこられると一人では家に帰れないしねと。

このとき母が笑うのではなく、真剣に僕を追いかけていたとしたら、僕はそのままさらに逃走を続けていたように思います。

そうなったとしても、結局はとっ捕まって別の日にでも無理やり歯医者へ放り込まれたでしょう。

状況としてはより深刻です。

なので笑い話であるうちに、僕はおとなしく歯科医院の入り口をくぐりましたとさ。

何事も、深刻になってはいけません。

深刻になってプラスになることなどまずありません。

深刻になると良いアクションができなくなり、ことは本当に深刻になります。


明日が良い日になりますように。

甲府の冬、思ったより寒くないかも・2025年11月30日

北杜市方面上空
北杜市方面上空・八ヶ岳方面

こんにちは。スタッフの友次郎です。

友次郎の日記的書き込み。

甲府は本日も快晴。

遠くの山で日々増えていく雪化粧を眺めています。

■ 朝の2℃と昼の室温20℃、冬支度と陽だまり生活のギャップ

晩秋の甲府、明け方の最低気温は予報で2℃まで下がるようになってきました。

これ、朝方寒いだろうなと思い、寝床に防寒のために暖かい敷物を追加したりで工夫。

しかし、南に面した僕の部屋では夜が開けて日が登り8時頃になると室温は暖房なしで20℃。

準備した布団が暖かすぎて暑いほど。

また日中に快晴になると、日向は暑いです。

そういえば、今年の1月10日に引っ越してその日の最低気温はほぼ0℃でした。

このような気候について引っ越し前からデータを見ており、そこそこに準備していたつもりです。

そこで大阪よりよほど寒いだろうことを考え、引っ越し前に各部屋用に電気カーペットを購入しておきましたが、ずっと出番なしでレンタル倉庫に眠ったまま。

各部屋の暖房はちっぽけな電気ストーブと、セレの部屋だけエアコンの暖房を使うかどうかでしのげてしまっています。

まあ、本格的な冬はこれからですが、今年の一月以降の寒い時期はどうやって過ごしていたのか、バタバタしていてあまり記憶に残っていません。

なにせ「寒くてこれはいかんなあ」と思ったことがなく、むしろ「大阪の冬より過ごしやすくないか」とさえ。

まあそれは、大阪の気候というより家そのもの作りがが異常だった説が有力。

ただし、流石に「朝は車のフロントガラス凍結」とか、冬タイヤ必須なのは甲府の冬。


明日が良い日になりますように。

シカ注意の道も爽快!北杜市ドライブ・2025年11月27日

清泉寮テラスから
清泉寮テラスから

こんにちは。スタッフの友次郎です。

友次郎の日記的書き込み。

セレ予防接種から三日目。

少しは体調がマシになり、久しぶりに外へ出ることに。と言うか、ちょっとは外に出ておかないと気分が滅入り、足も萎え気味。

ところで「星の導き2026年」の発表までに大詰めを迎えています。今しばらくお待ちください。

▼ 参考ページ
「星の導き2024年」

■ きららシティで買い出し&絶景とご当地グルメ

さて、あまり多くも歩けそうにないセレなので本日はドライブ中心の予定になりました。

50分程度のコースとして北杜市のショッピングセンター「きららシティ」に。

ここは前回11月17日にも一度訪れており、道中も非常に良い景色だったところ。

きららシティにはスーパーも入っており、甲府市とはまた少し異なる品揃えも楽しめまます。

ここでお昼用のおにぎりとお茶を買い、じゃあ、と言うことで久しぶりに「美し森」へ足を伸ばします。

彩雲
彩雲・甲府に来てからよく見る

きららシティから美し森へは17分ほど。もうね、スイスイ走れて気持ちいいです。

そうそう、北杜市といえば、人気アニメ「スーパーカブ」の舞台になっており、いわゆる「聖地」と言う場所もいろいろあるようです。

確かに、北杜市は良い季節にはバイクで走るとすごく気持ち良さげ。(と言う僕は昔モーターバイクが日常の足でもあり、大好きです)

それから美し森に近づくと道路には「シカ注意」の看板。

いやね、看板がなくたってシカでもイノシシでも、クマでも出てきそうな道ですよ。

でも、だから、気持ち良い道なのですね。

そして美し森は冬本番を迎えようとしています。すでに降雪もありで、本日の日中雨気温は9℃。山から冬の使者が降りてきています。

さて、美し森から「清泉寮」へ。

清泉寮クリスマスの準備
清泉寮クリスマスの準備

清泉寮の売店で面白いメニューが。

「ジャージー乳甘酒」。(アルコール抜き)

ええっ、牛乳+甘酒?頭の中で想像します。で、飲んでみたら、想像したままでした。ま、悪くない。

これ、牛乳と酒粕があれば自宅で作れるな。


今週も最後の更新となりました。

次回は11月30日(日)10時以降の更新となります。

よい週末をお過ごしください。

明日が良い日になりますように。

景徳院と姫ヶ淵、知らずに降りた渓谷は・2025年11月26日

和田峠見晴らし広場
和田峠見晴らし広場から甲府市街を見る

こんにちは。スタッフの友次郎です。

友次郎の日記的書き込み。

本日は曇から一転して快晴。日向はポカポカな甲府。

■ 釣り目的で訪れた甲州日川、実は戦国の舞台

山梨由来の銘菓などを含め、山梨や甲府のことをもっと知りたい欲求があります。

ところで2023年の春、天然石のイベントにまつわることでセレ一行は大阪からはるばる甲府を訪れています。

▼ これですね
甲府ジェムマーケット報告

このとき僕は雨模様にもかかわらず・・・

セレとピエロコを現場におろし、釣りに行ってました。

しかし当時はまったく土地勘がなく、ネット調べた川の情報が頼り。

今となってはどこへ釣りに行ったのかわからなくなり、その時に撮影した画像のGPSのクレジットを元に「場所の特定」をしてみます。

わかりました!

僕が釣りに行ったのは「甲州市の日川」上流域のちょっとした渓谷。
(今の自宅からだと車で50分程度)

その川を見ながら車を停めたのは市営景徳院駐車場というところ。

市営景徳院駐車場
市営景徳院駐車場

これを改めてGoogleMapで見ると・・うわっ近くに古戦場が二箇所。

まったく気づかずやばいところに来てたんだ・・・

さらにこの駐車場からどう歩いたのか?GoogleMapのストリートビューで確認。

いや、すると、この駐車場のすぐそばに「姫ヶ淵」という史跡のマークが。

姫ヶ淵
駐車場に姫ヶ淵の石碑

うわ、これは何か不吉な名前です。

いやね、この駐車場に車を置けば川までのアクセスが非常に都合よく、釣り始めの入渓点としてはうってつけだったのですよ。

調べてわかりましたが、僕はモロにその史跡碑文が立っているところあたりから川へ降りて行きました。

雨降りだったこともあり、周囲の細かい状況をほとんど把握せず、碑文の存在も知らず。

で、調べてみました「姫ヶ淵」。


甲州市の「姫ヶ淵(ひめがふち)」は、戦国時代に武田勝頼が織田軍に敗れた際、夫人と侍女たちが身を投げたと伝えられる場所です。山梨県甲州市大和町田野にあり、武田家終焉の地である景徳院の近くに位置します。伝説にちなんで名付けられた史跡で、現在は石碑などが整備されています。


いやこれね、一応は「伝説」ということになっていますが、 あまり気持ちの良いものではありません。

ましてやそこで釣りをするというはちょっとなあと。

こりゃいかんわ。ネット情報の一部では心霊スポットにもなっとるやん!

ところでこの「淵」(ふち)の意味は「水の深いところ、川などのよどんだところ」

しかし現代の僕がそこに降りた感覚としてはほとんど「瀬」です。浅瀬です。水はチョロチョロです。決して淵ではありません。

これに関しては、実は現代に至ってさらに上流部にダムが建設され、それに伴って日川の水量が減少し、淵が消滅してしまった模様。

この日川、古戦場や姫ヶ淵の伝説を知るまではまた釣りに行こうかな、と思っていたところ。

古い記憶から山梨のことをもっと知ろうとしたら出てきた話。


明日が良い日になりますように。