ラリマー・率直さが信頼される・2018年10月9日
ラリマーが出ています。
ラリマーに求めるのは「素直な心」。
うわ、前回もラリマーでしたね。
ラリマーは典型的な癒し系パワーストーンですが、その根底にあるのは「自分を愛する心」。
まずは「悲しみ、恨み」といったマイナス要素を心から取り除きます。これがないと、自分や人を愛することもままなりません。
素直でいられない理由は「何かにとらわれていること」。
とらわれることにエネルギーを供給しているのが「悲しみや恨み」といったマイナス感情です。
さて、カードは「ペンタクルの騎士」。
よりよい状態への希望が強くなっている状態を表します。
そのために大切にしたいのは人間関係や自分自身の責任ある態度です。
このとき、取り繕うことなく素直に率直に人と接することで大きな信頼を得ることになりそうです。
フラフラしないで一貫した態度を維持することで思っているよりも早くスムースに願いが叶いそうですよ。
愛情関係においても吉と出ているよいカードです。
満員電車「好き嫌いと容認その他」色々
最近のこと、Twitter上に満員電車でギュウギュウ詰めになっている人を撮ったアート作品が取り上げられて話題になりました。
それを見た大学教授、安冨歩(やすとみあゆむ)氏の書き込みが以下の通り。
「良い子の皆さん、一生懸命学校に行って、勉強したら、立派なサラリーマンになって、こうやって会社に行けますよ」
これについては様々な反応がありました。
「好きでやっているわけじゃない」
「これが資本主義の、搾取の云々・・・」
「頑張っている人を揶揄している・・・」
「都市計画といった行政の問題」
しかし安冨氏はこの満員電車になぜ人々が乗っているかという理由について「好きだから」とくくります。
うん、最終的に好きだから、に行き着くことになると筆者も思います。
この満員電車については、もう人の尊厳なんか完全無視ですよね。
ほとんど暴力性が存在します。
人はことによっては奴隷のような状態に置かれることを自ら望んでしてしまうこともあり、ことによっては他の誰かを虐げることに加担することもあり。
そして満員電車というのは、乗っている人々それ自体によってぎゅうぎゅう詰めになっているわけですから、乗っている人々自身が加害者になっている側面もあります。
非人道的で人権を完全に無視することに乗客自身が加担しているわけです。
嫌なことでも進んですることがある種の美徳のような教育もありますが、これが満員電車に当てはまるでしょうか?
満員電車にぎゅうぎゅう詰めにされて何十分も我慢を強いられるのって、ここまで科学技術が進歩した21世紀のお話なのか、私は不思議でなりません。
また、満員電車に乗ることに「逸脱」しないでいられる人々、という表現で書いた人もいましたが、いやいや、逸脱しているから乗れるんだと思いますよ。
自らを愛していればあんなものには乗れません。
しかしさらに書けば、あれに乗る程度のことなど小さなゲームである、とすることも可能です。
あれしきのことは人生の中では取るに足りない、というのもありでしょう。
筆者は今は乗らなくなった満員電車ですが、学生とか会社員時代には普通に使っていました。「私は奴隷のようなものだ」と思ったものでした。
とりとめのない話になりましたが、好きなこと、実際に自分がしていること、我慢していること、などなど、それがどんな意味を持つのか、ちょっと考えることがあっても良いかもです。
明日が良い日でありますように。