クリソプレーズ・正念場・ 2018年7月12日
クリソプレーズが出ています。
クリソプレーズに求めるのは「自分で運命を切り開く勇気」。
このストーン、フルオーダーにちょこちょこと出てきやすいです。
クリソプレーズは自己実現系として使いますが、どちらかと言えば穏やかに働く方。
現実直視があまりに厳しいといいう場合には重宝するストーンですね。
それからある意味では癒し系的な働きもありで「ちょっと癒さなきゃ先に進まんなあ」という時に使えますね。穏やかです。
さて、カードは「ワンドの5」。
ちょっとしたトラブルが発生するかもで、その解決に向けて振り回される感触あり。
がしかし「ここでくじけるな」というのがこのカードの「キモ」です。
この問題をクリアするために信念を曲げてはなりません。でもそれと同時に思い切った自己変革もありです。
これ、目的達成のためには小さなこだわりは捨てることも大切と。
最初に賛同は得られにくいかもしれませんが、あなたの姿を見た人たちが徐々に助けになってくれそうですよ。
実は今、本当にやりたいことに取り組むための絶好のチャンスかもなのです。
ここを通り抜けたら大きな収穫が待っていそう。
感情と記憶の閉塞
ここのところ感情のレベルの復習に近い話題が続きました。
これに連続して少し理屈っぽいことも記しておきます。
嫌な記憶やその時の嫌な感情から逃れるために、その記憶と感情を閉塞させてしまうことがあります。
「あれはなかったことにしてしまおう」
これ、確かに現状の生活を切り盛りするにはやむなき手段でしょうし、本人はそう思っていなくても半ば自動的にそうしてしまうことがあります。これ、「見る」の反対の「見ない」ですよね。
ところが、本人が気づかないところで影響を受けるのが普通です。(なにせ見ないですから)
これ、どうやって見つけるかと言うと、まずは自分自身として「自分の気に入らない部分」とか「なんでこんな反応をするのか」とか「原因不明なコンプレックス」とかに現れるとわかりやすいです。
これらは一言で表すと「不合理性」です。
これをさらに簡単に表せば「サバイバルに役立たない」もしくは「サバイバルのマイナス」と思われる反応と見て良いです。(サバイバルってこのコラムでよく書いている「生存性」ですね)
もちろん、人は喜怒哀楽に応じて泣いたり笑ったりします。感情のレベルは動きます。
それが合理的な場面であれば一向に問題ではありません。(だだ、延々と泣いているばかりでは生き延びらせません。ですから延々と泣いている状態を「不合理」とします)
で、ふと我に帰って「不合理性」に気づけばそれでよしです。
そして自分自身を知る旅が始まります。
「なんであんな不合理な反応をするのだろう?」
記憶と感情の閉塞のフタを開けるきっかけはそんな瞬間にあります。
- 幸せだった時を思い出す。
- 何かを作り終えた時を思い出す。
- 人生が楽しかった時を思い出す。
- 誰かが何かをくれた時を思い出す。
etc.
上記の「思い出し練習」は閉塞された記憶や感情を再発見する些細なきっかけにはなります。
そう言えばある日、母にこの練習をさせようと思い・・・
「人生が楽しかった時を思い出してください」
と言ったら、母の答えは・・・
「そんなのないね!」
思わず吹いてしまいましたが・・・
ですからこれが記憶の閉塞です。
明日が良い日でありますように。