2015年5月14日 ターコイズ・孤独感を乗り切ろう/ワンドの8/リバース
急激な変化があるのは確か。しかしその波に乗り切れない暗示です。
このようなときには人間関係に歪みも起きやすく、コミュニケーションの不全も起こり気味。これが原因で孤独感を感じることも
また、急激な変化のために進むべき道を見失いやすくあります。
これを乗り切るにはちょっと我慢が必要そうですね。
周囲の状況の急変に心が乱れることがあるでしょうが、あせってジタバタしないことです。現実と自分の心をしっかり確認し、いつもの状態に戻るのがカギ。
このようなときにお勧めのパワーストーンはターコイズです。ターコイズは孤独なときの強いサポーターとして大変有用ですね。また、孤独感の解消だけでなく、人とのつながりを気づかせてくれるといった作用もありますから、大きな視野で物事を考えられるよにもなりますよ。(このあたり、意味辞典には未記載です)
孤独と戦う
だいだい、まあ人間というのは孤独が苦手な場合が多いでしょう。
元々、人間はある程度の群れで生活しているわけですから、その社会性としてひとりぼっちが苦手、という説があります。
確かに、それはもっともに聞こえます。
しかし、いくら孤独が寂しくてもしてはいけないことがあります。
それは「人から認めてもらおう」とすることです。
(これは以前のコラムで書きましたね)
ここで間違わないでいただきたいのは「人から認められること」そのこと自体は問題ではないのです。問題になるのは「人から認めてもうらおう」とすることです。
人から認めてもらおうと思ってしまうとき、何が起こるのかといえばコントロールを人に渡してしまうこと。
それは「人が由とするする自分になる」(ひとがよしとするじぶんになる)ことに他なりません。そうなると、そこには自分がありません。そして責任は自分ではなく人にあります。
さてさて、これだけでは話がわかりにくいですよね。例を挙げましょう。
人に認めてもらおうとする人で、かなりな卑怯者は「いじめに加担する人」です。その人はいじめる側に回ることで、いじめる側の人間たちに認められるわけです。そうやって孤独ではなくなります。
そしてその人達は言うでしょう。「自分はそのいじめの首謀者よりも悪くない。自分は加担しただけだから」「いじめる側に入らないと自分がいじめられるから」。このように自分では責任を取らない人達ですね。
さらに、いじめる人はこう言います「いじめられる側にも責任がある」。甚だしい責任転嫁です。
いじめをなくそうと思うなら、各自が孤独に耐えなければなりません。孤独に負けた者がいじめをするのです。
追伸として記しておきますが、いじめの首謀者、その人はそもそもが孤独に耐え切れない筆頭者で、いじめることによって人に認めてもらうことを望んだのです。
もしも、あなたがいじめられているならば、あなたの孤独を私が応援しています。
明日が良い日でありますように。