自分自身を探す旅・作られた性格(2)
前回の記事に引き続き「作られた性格」について書きます。
教育によって植え付けられた性格の問題点
教育によって作られる性格のうち、特に問題になるのは抑圧*1的な方法によって作られたものです。抑圧というのは、まあろくなことは引き起こしません。
抑圧的な教育の例では、昨今で問題として取り上げられる「体罰」があります。またこれに絡んで「全体責任」を取らせるという形での「脅し」や「強要」があったりします。
これほどまでに極端でないにせよ、親の愛情を勝ち得るためには「学業で良い成績を残す」といったことも含まれるでしょう。ことによっては自分の人生を歩むためではなく、親が決めた人生を歩む為にその性格を得ている(得させられた)場合もありますよ。
いずれにせよ教育で作られる性格は、抑圧的であることが多く、それがあなた本来の自分自身であるどころか、元の性格までも押しつぶしてしまうことがあります。
もしも以上のことに「思い当たるフシがある」ならば、意識的にそれを捨てるチャンスです。(気づいているなら傷は浅いです)
しかし!その嫌な性格の止め方がわからない!そうですよね。おいおい書くことになりますが、とにかく今は「理性」で勝つしかありません。「勝つ」と言うよりも不要なものを「捨てる」でしょうか。
ふとしたことから得てしまった性格のこと
前回の記事で「亡くなった誰かの性格を借りる」ことを書きました。これって不思議ですよね。ちょっと説明しておきます。
これが起こるのには条件があります。
AさんがBさんを「助けることに失敗したと後悔している」場合に、Bさんが亡くなった後にAさんはBさんの人格を借りる。
です。
「助けることに失敗したと後悔している」というのは、例えば「もっと親切にしていればよかった」とか、「なぜもっと優しくしてあげることができなかったのだろう」ということも含みます。
例えば、ある人の親が亡くなったとき、子供は亡くなった親の人格を得てしまうことがあるわけです。
実例で言えば、祖母が亡くなると、母が祖母に似た性格になったとかです。
なぜこんなことが起こるのか?どうやら亡くなった人に対する後悔をどうにか処理したいために、亡くなった方の人格を引き継いでいるようですね。
ことによっては死んだペットの性格を借りているという例まであるようです。
この種の性格、まったく不要でしょう。元々あなたのものではありません。
捨てましょう。
理性的に「捨てる」ことができるのを助けるパワーストーン
筆者:中尾友次郎